応援メッセージ

水野誠一
(株)IMA代表

フリーマン・ダイソン
物理学者

ニコラス・ヒューロー
TVプロデューサー、司会者

デイビッド・サッパースタイン
脚本家、TVプロデューサー

ハーマン・サルバーグ
ライター

木内みどり
女優

ジョージ・ダイソン
作家

龍村 仁
映画「地球交響曲」監督

ポール・アップルビー
BBC自然史部門 シリーズ・プロデューサー

バージニア・マッケンナ、
ウィル・トラバース

ボーンフリー財団

高橋 健
動物作家

水口博也
ジャーナリスト




ポールさんの島
カナダはバンクーバー島の近くに浮かぶ「ハンソン島」がポール・スポング博士の島だ。原生林に囲まれたこの島にポールさんがオルカの生態研究という地味な仕事のために住みだして何年になるのだろうか。そのハンソン島にお邪魔したのが確か1992年の夏だった。結構仕事上で辛い問題を抱えているときだっただけに、この電話も電気もなければ水道もない島で一年中粛々と研究を続けているポールさんの生き方に触れて、仕事の悩みなんて大自然の営みに比べたら、なんとたわいもないものかと感じたものだ。ポールさん一家の優しさに触れて大いに癒されたこともあった。その後、お嬢さんが本土の学校に進学したり、木材会社が島の原生林を伐採しようとしたり、様々な出来事があった。しかしなにが起ころうともポールさんの純粋な情熱が衰えることはなかった。ポールさんの住んでいる島は本当に地球の片隅だけど、そのネットワークはいま全世界につながっている。がんばれポールさん!。

水野誠一
(株)IMA代表







30年前、1970年の8月、私がまだ17歳だった頃のこと。私が働いていた船は、今はオルカラボがある、ハンソン島の小さな入り江に停泊していた。私はアンカーが引かれたら、その音ですぐに起きられるように、鎖のすぐ横のデッキで眠っていた。しかし、その夜はアンカーの音の代わりに、オルカたちによって、私は目を覚ますことになった。彼らは、月光が照らす海を、船を取り囲むように泳いでいた。暗く、澄んだような静けさが包んでいたはずの世界は、オルカたちの歌声と、彼らが通り過ぎるたびにたなびく青白い光に満ちていた。オルカライブは、私がかつて垣間みて、今も私の夢の中に生きている、あの世界に窓を開けることになるだろう。それは、私たちが人類という種として、決して閉じてはいけない窓だ。

ジョージ・ダイソン
作家
著書:"Baidarka","Darwin among the machines: the evolution of global intelligence"







私は、これまでに2度、オルカラボの神秘的な世界に入ったことがある。
最初は1975年のことで、まさに研究が始まったばかりのときだった。
2度目は1996年で、研究所は本格的に活動を始めていた。
1975年当時の私の日記には、こう書いてある。

「木曜日が島での最後の夜だったので、私たちはポールと彼の家族を訪ねた。暗くなってきた時、オルカたちが歌い始めた。ポールは水中にマイクを仕掛けており、家の中のスピーカーが、そのマイクとつながっていた。オルカの歌声は最初は静かに始まったが、岸に近づくにつれて、どんどん大きくなっていった。そして一家全員が、突然熱狂に包まれた。ポールはフルートをつかんで、海にせり出す木の幹に駆け上った。そして星空の下で、奇妙なメロディーを奏で始めた。幼いヤシ(ポールの息子)は、ポールのそばに駆けより、キャーキャー叫びながら、そのメロディーをさえぎっていた。オルカがそれに応える声は、開いた扉から、どんどん大きくなって聞こえてきた。ジョージ(私の息子)がエミリー(私の娘)を連れて、オルカに近寄ろうと小さなカヌーに乗って出ていった。岸の近くに浮かべた、そのカヌーに座ってジョージもフルートを吹き始めた。オルカは彼らに近づき、10メートルほど離れたところで止まった。まるで音楽を楽しんでいるかのようで、カヌーをひっくり返そうとはしなかった。コンサートは30分ほど続いた。その後、大海原に戻っていくオルカ,,,を数えてみたら、全部で15頭ほどだった。」

1996年に再びハンソン島に戻ったとき、私の日記はこう続けている。
「島は、変わらず静かで美しい。ポール・スポングは、今もオルカの歌声を聴き、録音している。彼は家族と、そして世界中からオルカの研究をするために集まってきた10人の学生たちと共に暮らしている。生まれた数日後からこの島に住んでいる、15歳になる彼の娘、アナがいる。1975年には7歳だった息子のヤシは、バンクーバーで映画プロデューサをしている。木曜日と金曜日を費やして、島の中と、水中マイクと水中カメラでオルカを観測する、たくさんのステーションを探検した。自然のままに社会行動を続けているオルカの声や姿を、私たちの存在に脅かされること無く、いつでも観測できるようになっている。ポールと妻のヘレナは一頭一頭のオルカをについて知っており、家族の関係も理解している。一番の年寄りは、私と同じ、73歳のおばあちゃんオルカだ。」

オルカの生活が乱されないためにも、ハンソン島は近寄りがたいところであるべきだ。そうすれば、ツーリストが群がることも無いだろう。
私たちは、島を訪れたときに、めったにない特典を楽しんだのだ。このウェブサイト、オルカ・ライブによって、神秘的で、そして美しいハンソン島とオルカの世界を、世界中の人々と分かち合うことができることを、私はとても喜んでいる。

フリーマンダイソン
物理学者
著書:「多様化世界」、「科学の未来を語る」、"The Sun, the Genome and the Internet" (1999)など。2000年、テンプルトン・プライズ受賞







親愛なるポールへ

とにかくおめでとう!
あなたの長年の夢の実現の第一歩が始まったことを、心から祝福します。
あなたが私に初めてネイチャー・ネットワークの夢を語ったのは、もう10年以上も前のことです。水族館で出会うオルカの姿は、本当のオルカの姿ではない。本当のオルカに出会うためには、自然の中で自由に生きる彼らに静かに寄り添う姿勢がなければならない。
この困難なあなたの選択が、ようやくブリティッシュ・コロンビアの海で理解され、定着し始めた時、そこにもう一つの大きな問題が生じました。オルカを捕らえ、水族館に連れてくる営みがようやく下火になった時、今度は多勢の観光客が、オルカの生活圏に押しかけて来て、彼らの生活を乱すようになったのです。この人間の好奇心から生まれる矛盾をどう解決すればよいのか、その試行錯誤の中から生まれたのが、あなたの"ネイチャー・ネットワーク"構想でした。10年前、この構想をあなたと共に、各方面に話して歩いたとき、その主旨を理解してくれる人はいても、それを"現実化"する力はまだ生まれませんでした。"夢"の実現のためには、10年間の技術の進歩と人々の心の進化を待たなければならなかったのです。そして今、ようやくその第一歩が踏み出されたのです。
まだまだ困難はあるでしょう。しかし、この試みはオルカのためというより、われわれ人類のための営みであり、もっと言えば母なる地球にいきる、全てのいのちのための営みです。私は、この営みが、かならず素晴らしい成果を生み出し、開花する日が来ることを、心から信じ、応援しています。

龍村 仁
映画「地球交響曲」監督
http://www.otrfilm.com







テクノロジーによって変貌を遂げた社会では、自然はどんどん遠いものになっており、人々にとって、自然とのつながりを保つことは非常に重要になってきている。ブリティッシュコロンビアのオルカたちのライブの歌声や映像は、都市と自然をつなぐ、スピリチュアルな掛け橋になるだろう。オルカたちは、大自然からの常設大使と考えるべきだ。彼らの歌声は、科学的な解釈は別として、人間の無関心と無知に対する泣き声として聞くべきだ。道具を使わない彼らの日常生活をウェブ上で経験することは、人間が地球上で孤独ではないということを、そして自分たちの未来を考えるときに、他の全ての生命種と共に考えていかなければならならいことを思い出させてくれる、最高の方法だ。進化の中で、私達は共通の履歴を持っている。だから、われわれは共に未来に参加しているのだ。もし、オルカ・ライブがこうした理解の助けになるのなら、素晴らしいと思う!

ニコラス・ヒューロー
フランスのテレビシリーズ「Ushuaia Nature」のプロデューサー/プレゼンター。







動物の世界に入っていくことは、常に大変なことだ。しかも、海洋で最も知性のある哺乳類であると、それはさらに挑戦的なことである。オルカラボのチームは、オルカの声を聴き、彼らの音の世界に入り込んでいくことに、自らを捧げている。何マイルも離れたところから響いてくるオルカの鳴き声を聴くことは、大自然と遭遇する最も劇的な形の一つだ。そして、同じ耳を通して船の騒音が聞こえてくると、私達による惑星への影響が、とてもシンプルで、かつエレガントな文脈で見えてくる。
インターネットを通じて、オルカの声を聴くチャンスを提供することは、その出会いを共有するチャンスを世界に与えることになる。
同じように、オルカたちの水中の言葉を翻訳し、音によって家族や個体を明らかにしていく、というポールとヘレナの研究は、オルカの家族とのコミュニケーションの重要性と、彼らの高度に洗練された未知の生活への理解を提供してくれる。
オルカたちの声は、皆さんの心の中にイメージを喚起するだろう。そして、ジョンストン海峡の水中カメラから直接送られてくる映像が、さらにそれを助けてくれるだろう。

ポール・アップルビー
BBC自然史部門 シリーズ・プロデューサー







私は青く、そして壊れやすい、この惑星の様々な場所を旅した。ほとんどの場所は記憶と記憶の重なりの中で消えてしまったか、あるいは散逸してしまった。しかし、オルカラボを訪ねたときの、風景や音や、驚くべき美しさは、今でもハッキリと記憶に残っている。1988年と1989年に、私は自分が書いた「BEYOND THE STARS」という特別番組のディレクターとしてバンクーバーにいた。登場人物の一人は、クジラを研究する男だった。プロデューサーのミッキー・ハイマンと私は、文明を離れ、自然の中に分け入りながら、オルカラボへと向かった。ポール・スポングは彼のボートで、私たちをハンソン島に連れていってくれた。その途上、見事なオルカの一群が現れた。そそり立つ背鰭が、暗く静かな海の表面に現れ、透明で澄んだ空気の中に呼吸音が響いた。ハンソン島では、樹齢1000年の杉の横に立った。白頭ワシでいっぱいになった空を見上げ、産卵のために戻っていくサケを見た。同じ空に、太陽が昇り、月が昇るのを見た。真夜中が過ぎて、ポールの水中マイクから、オルカの歌が聞こえてくるのを聴いた。しばらくして、見たことも無いような満天の星空の下を、巨大なフェリーが通りすぎていった。私達が、短い期間でも滞在できることを光栄だと感じていた、神秘的で繊細な世界に気づくこともなく眠りこけている乗客を運びながら。
オルカライブが、インターネットを通じて、WWWという素晴らしいテクノロジーと力で、オルカの世界と私たちを近づけてくれることを、私はとても嬉しく思っている。ブラボー!

デイビッド・サッパースタイン
ニューヨーク在住。多くの小説、演劇・映画の脚本を手がけるライター。テレビ・ドキュメンタリーのプロデューサー。数多くの受賞暦を持ち、最も有名なのは映画化された小説「コクーン」だろう。近著「ダークアゲイン」は、インターネット上で初めて出版された小説(inter-novel)となった。







オルカラボは、私たちにとってオルカの秘密の世界へ通じる窓だ。ブリティッシュ・コロンビア沖の海の中で、私たちから見えない世界を生きている、この驚くべき生物がどんな生命なのかということを、ポールとヘレナ、そして彼らの研究チームは、その音を丹念に研究することによって描き出した。オルカ・ライブ・プロジェクトは、オルカラボと、そして世界中の野生動物ファンが、オルカをおびやかすことなく、さらにその先へ踏み込むを可能にしてくれるだろう。このような方法で自然にアクセスし、さらにオルカの生活を見たり聞いたりすることは、自然に対する理解と尊敬とインスピレーションを促すという、ウェブならではの可能性を示すものだ。ボーンフリー財団は、オルカラボを何年もの間サポートしてきた。そして、われわれすべてのお手本となるような独創的で、画期的で、そして自然に思いやりのある仕事に協力できたことを誇りに思っている。

オルカライブを聞いて、見て、楽しんで!

バージニア・マッケンナ、ウィル・トラバース
ウィル・トラバースは英国のボーンフリー財団の事務局長。バージニア・マッケンナは女優、ライター、そして野生動物とその生息地の保護運動をしている。夫妻は、映画『ボーンフリー』で中心的な役割を果たし、ボーンフリー財団を立ち上げた。







人々が壊そうとしているもの、失おうとしているものを前もって知らせることで、それを避けることができるかもしれない。動物園はいつも、人々が動物を「愛する」ようになれば、動物保護に関心を持つようになるだろう、と主張する。そして、動物を見ることによって初めて「愛するようになる」と言う。でもそれは、まったくもっておかしな、自己中心的な「愛」だ。何しろ、動物園では柵の中に捕らえられ、コンクリートのプールで泳ぐ生き物たちとしか出会うことができないのだから。こうした、一方的な愛情は間違った態度だ。その愛情を、「尊敬」に昇華させる必要がある。動物の家族にとっては、仲間が捕らえられようと、撃ち殺されようと、同じ事なのだ。そして、ショービジネスの犠牲になることも、撃ち殺されることと、何ら違いはないのだ。一頭一頭のオルカが、ポッドに、クランに、そしてコミュニティに属しているということを、そしてさらに、野生の世界に、海に、そして大きな自然に属していることを人々に見せるのは、とても良いアイデアだと思う。自然は、動物園やショーのように、すぐにお目当てのものが見れるような世界ではない。オルカ・ライブの観客は、まずそのことを知ることになるだろう。自然が私たちをオンデマンドで楽しませてくれる場所ではないことを教えてくれることは素晴らしいことだ。愛と呼ぼうと、尊敬と呼ぼうと、どちらも距離と忍耐が必要だ。オルカ・ライブはそのことを教えてくれる。そのことを私はとても気に入っている。

ハーマン・サルバーグ
ドイツ在住。クジラに関する多くの記事や本を書いており、映像にもたずさわっている。主に、ヨーロッパで最も多く出版されているネイチャーマガジン、『GEO』に寄稿している。







親愛なるポール・スポングさん
 このたびネイチャー・ネットワーク「オルカ・ライブ」を開設されると聞き、大変嬉しく存じます。
 想えば、20年前に貴方がこの構想を打ち出されたとき、まったく夢のような話だと思いました。水中に撮影室を沈め、カメラを置いてオルカたちと交流する姿を全世界にネットワークされた会員に常時知らせるという構想が、あの当時は現実としては考えられないほど進んでいました。それでも貴方の情熱に押されて、スポンサーの企業を探して、いっしょに東京中を走り回ったことを昨日のことのように記憶しています。
 その後、私たちは捕らえられたオルカを開放する運動のために映画を制作しようと奔走しましたが、いろいろな不運の条件に遭遇し、もう少しのところで実現を見ませんでした。しかしそれが契機となって、オルカ映画は他社によって実現し、その成果によって私たちの意図の少しは果たされたとも思っています。その間、私たちはオルカの現状を知らせることが、彼らの生活を乱すことになるという二律背反に悩み続けましたね。しかしながら、未だに囚われの身となっているオルカがいることは残念でたまりません。
 時は流れて、こんにち、21世紀にむかって情報システムの急速な発展により貴方のネイチャー・ネットワークの構想は現実のものとなってきたのです。私は今、過去の30年にわたる貴方との交遊に想いを馳せ、深い感慨に浸っています。どうか発展にむかって邁進してください、大いに期待するところです。
 なお、私は今、貴方について、やり残した二つのことを実現したく思っています。貴方と私のオルカについて書いた小説の続編を書くことと、もう一つはオルカに情熱を注いだ貴方の伝記を書くことです。私に残された時間が少ないのですが、変わらぬご厚情とご協力をお願いします。

高橋 健
動物作家。1973年動物雑誌『アニマ』を企画・創刊。映画『キタキツネ物語』の企画・原作などのほか、著書多数。







〜〜〜ポールさんにはヘレナさんがいる〔居る、そして。要る)〜〜〜

7〜8年前、夏の数日をハンソン島ですごしたことがあります。初めて生・オルカの声(?)を聞いた時、自分の体が、全体もその細胞のひとつひとつもかつてない反応をしました。おどろき、あきれ、怖くもあり、おかしくもあり、そしてなんだかう〜んとうれしかった。ブワッハアア....・プハアアア....・ズズズズウウ....・シュウウウウ.....。字で伝えようとするとなんと間抜けになるのでしょう。

2000年のこの夏にオルカの声がライブで世界中に届けられるという。なんということだ!!!! ほんとに、なんて、すてきなこと! ハンソン島から帰ったわたしから間抜けな声での表現を幾度もきかされた友達にすぐ知らせなきゃ、ライブで聞けるよって。

もう、ひとつ。

ポールさんにはヘレナという奥さんがいる。この女性がすごい! 都市で生活している人間にとってその苦労がほんとのところどんなものなのか理解できないけれど、なにしろ、とてつもなく大きな島にご主人と娘との3人だけ。ガス、水道、電気、トイレ、お風呂、なにからなにまで自分たちで作り管理する生活。なのに、ポールさんの家はそんな島だからこその楽しさ美しさにあふれている。

夕食ともなれば、自家栽培の野菜の料理、海にもぐって採ってきた超・新鮮なウニや鮭の料理、自分で焼いたパンなどがきれいにセッテイングされたテーブルにある。ヘレナさんは涼しい顔で笑っているけど、私は唸った。

薪ストーブひとつ、水は最小限の量しか使えない。薪の大きさ太さ、それを入れるタイミングだけで火力調節。煮ている鍋の上にもうひとつ鍋を重ねて蒸して、その横で肉を焼く...。かたづけ、洗い物のしかたも独特。

暖炉で暖かい部屋、ガラス窓から見えるのは完璧な自然。食後のコーヒー片手に肩をよせあい冗談を言っては笑っているこのお二人の姿も、オルカの様子の合間に写して欲しい。

木内みどり
女優







ネイチャー・ネットワークの意義

 さまざまな科学技術について、あるいは自然の管理について、かつては専門家にまかせていればそれでいいという風潮があった。いまでも国や役所はそうした風潮を少なからずひきずっているけれど、それが正しくいないことはいまや明らかだ。
 たとえば、これからのわたしたちが抱える最大の問題は、この惑星をどう管理・運営していくか、自然環境を健全なままにどう未来に伝えていくかにつきるのだが、これについては”専門家”のみにまかせているわけにはいかない。万人が興味をもち、自分の頭で考えることが求められている。
 自分で考え、何らかの判断をしようとするなら、まず学ばなければならない。いいかえれば、わたしたちすべてが、地球環境について学ぶ義務と権利を有しているといっていい。
 さて、動物たちの暮らしについて、自然環境のなりたちについて、学び、理解しようとするとき、実際に自分の目で観察し、感じることが何よりの出発点になる。本来なら対象となる場所へ出かけていくのが最高の方法である。野生のシャチの暮らしを学ぼうとするなら、ジョンストン海峡やポール・スポング博士のすむハンソン島周辺が、最高の勉強の場であるように。
 しかし、ここでもうひとつの要因も考えておきたい。それは、わたしたち人間が、自然のなかへ足を踏み入れるとき、そこに何らかのマイナスの影響があるということ。これは、わたしたちのようにフィールドに出て、野生動物を観察したり撮影したりする人間がいつも抱えている矛盾でもある。こうしたジレンマを、どうすれば軽減できるのか。
 もうひとつの問題は、学ぶために野生のなかへ出かけたいと望んでも、ときには経済的な、あるい健康上の、といったさまざまな問題でそれが果たせない人びとも出てくることだ。そうした人びとが、現地で眺めるのと同じように観察できる機会を提供できるシステムや社会こそ、きわめて健全なものだ。
 大自然のなかで展開される風景をそのままに、世界の各地で閲覧できるネイチャーネットワーク──万人が情報や体験を共有できるシステムとして、また自然にマイナスの影響を与えないという点で、このネットワークが未来に問いかける意味はじつに大きい。

水口博也
ジャーナリスト
http://home.c03.itscom.net/sphere/